sirokumaさんのいる異世界

気の向くままに書いた。近畿や兵庫県が多い。

明智光秀の怨念

まず、最初に言っておかなくてはならない。この話は日本史に基づいて書いている。たとえあなたが知っている日本史と違ったとしても、それはそれとして、笑って見逃してもらいたい。なにしろ、ここは異世界なのだから。

時は1582年のことであった。もっとも当時は西暦が伝わっていなかった。天正10年のことである。日本史の年号を西暦で覚えるのはおかしい。日本人なら和暦で覚えなさい。「NATO(710年)に加入、平城京」(平城遷都)、「今日も、イクわよ(1904年)ロシア人」(日露戦争)なんて覚えるのは、馬鹿げていると思わないか?それとも、そんな覚え方をしているのは私だけだろうか?

時は天正10年のことであった。こう書けば知る人は何があったかおぼろげに分かると思う。優秀な方は、題名だけでどんな話かは想像できるだろう。 6月2日の真夜中である。光秀は主君、織田信長に呼ばれて本能寺に夜這いに出かけた。しかし、気まぐれな信長のこと、そんなことは知らぬ顔。


「ええい、主君の蒲団に入ろうとするとは何事か!手討ちにしてくれるわ!」
光秀は信長の振り下ろす剣をかいくぐってほうほうの体で逃げ帰った。光秀にしてみれば、掘られるのは耐えられるが、殺されるのは納得行きかねたのだろう。これが戦国時代最後の下克上と言われる、あの事件の原因であった(※1)。

 

「信長の野郎。年下のくせに偉そうにしやがって(※2)」
こうなってくると、キレやすくネガティブ思考の光秀は過去のことをいちいち思い出すのだった。
「そういえば、なぜ猿(※3)などをとりたてるのじゃ。あやつは元々盗賊の子分ではないか(※4)」

そう思えば、羽柴秀吉蜂須賀小六(※5)も憎い奴らである。明日になればまた信長に因縁をつけられるに違いない。
「今夜のうちに殺らなければ」
幸い唯一のライバル羽柴秀吉備中高松城へ泥沼(※6)を作りに行っている。秀吉の方が人望があるから今宵はチャンスだ。光秀とて戦国武将であり、命令とはいえ比叡山焼き討ちを行った男である。天下を夢見なかったことなどないのだ。信長は光秀を軽く見過ぎたのである。

光秀は明け方に本能寺に奇襲をかけることとなる。ところが本能寺に着いてみると、既に誰かが真夜中に奇襲をかけた後だ。これは、どうも秀吉の戦略らしい。しかし、蜂須賀小六ではないな(※7)。

「そういえば猿は訳の分からない戦法ばかりが得意だった」
そこで光秀ははっと気づいた。 「秀吉は俺を狙ってくる。信長殺害の汚名を着せるために!真実を暴いてやる!じっちゃんの名にかけて」
自分の名にかけんかい!

とにかくも、光秀は主君を裏切った謀反者となった代わりに、タナボタ式に天下をとったのであった。

当然ながら備中高松城で泥沼を作っていた秀吉は、すぐに帰り支度を済ませていた。この時、恵の雨が降って泥沼が普通の沼になったのであった。これで信長死亡の報は相手に届かない。
 
城主を切腹させて部下を救うということで和解し、秀吉は京に向かった。 光秀も秀吉が帰ってくるのは知っていたので、戦力を揃えて迎え討つはずだった。

ここで泥沼戦術が功を奏し、秀吉軍はほぼ無傷の27,000、最終的には40,000。対して光秀軍は16,000、しかもあてにしていた武将(※8)に断られ、不利になったら寝返って攻め込まれるかも知れない。実際に筒井順慶などは淀川の対岸の洞が峠まで兵を進めて、戦況を見て結局引き上げたのである。

普通に戦えば確実に負けると思った光秀は、山が淀川に迫った山崎の地で戦うこととした。 この光秀の戦略は悪くはなかったと思う。畿内を固めて秀吉軍を消耗させられず、得意の焼き討ちが出せなかったのが敗因である。
 
光秀軍は秀吉軍に敗れ、敗走中の光秀は山中に逃げ結局討ち取られてしまった(一説には自害したという説もある)。竹槍で光秀を討ち取っとったところから、太平洋戦争では竹槍で飛行機を落そうとした。敗走の途中で光秀が飲んだ湧き水はやがて「サントリーウイスキー光秀」へと変わったのである。

そして、ライバルの秀吉は天下を取ったのだった。

しかしながら明智光秀は戦国時代有数の利口な男である。山中なら道のないところを、平地なら街道を進んだに違いない。当然殺されたのは影武者である。この世に自分と同じ顔をした人は3人いると言うから、彼らを探してきたに違いない。

不利な戦いになるのは分かっていたから逃げ道は必ず用意していた。

再起を誓った光秀は軍資金を隠した。光秀は明智村に身を隠し、秀吉への恨みを抱いたまま、農業に勤しんだのであった。秀吉を倒す機会を狙っているのである。西暦2021年、いまだにその機会は来ない。

明智光秀が軍資金を隠したとされるところは数多くある。私が見積もった額では約60億円である。見つけたら遊んで暮らせるかも?

(※1)実際には本能寺の変の原因には諸説ある。まあ、過去のことなのでそう簡単にはわからないだろう。

(※2)織田信長明智光秀より3歳年下だった。

(※3)秀吉は以前、嵐山モンキーパークのボス猿をしていた。男前で人気があったらしい。

(※4)蜂須賀小六は秀吉の親分であった。後に秀吉の子分になり、阿波藩の城主にまで昇りつめた。矢作川で拾ったクソガキのおかげである。

(※5)蜂須賀小六は、女優・釈由美子さんの先祖らしい。

(※6)普通に戦えば勝てるのになぜ泥沼を作ったのか不明である。秀吉はこのような、よく分からない戦法が多い。兵糧攻めなど「そこまでやるか」と思うような戦術である。

(※7)蜂須賀小六を犯人にすると、釈由美子さんが怒るかも知れない。

(※8)高山右近は秀吉側に寝返り、細川藤孝(光秀の娘婿)は中立、参戦しなかった。畿内の大名は光秀に恩があったが、あまり動かなかった。



(※)が増えると、つまらん文章も格調高くなるなぁ。